齋藤 孝/梅田 望夫 「私塾のすすめ」 読了

「声に出して読みたい日本語」の齋藤 孝さんと、「ウェブ進化論」の梅田 望夫さんの対談本です。

これからの時代、明治時代にあった私塾のようなものが、インターネット上に出来、そこで交わされる議論や作られる成果が大きな価値を生むのではないか。また、自分の指向性と合う共同体(私塾)に属することが幸福感を得ることに繋がるのではないか。

自分の言葉でこの本を要約してみたところ、上のような一文になりました。

私塾とは、

  1. 指向性を同じくする仲間が
  2. リーダーの決めた方向性に従って
  3. 活動すること

ではないかと思います。本書中では私塾の定義は明確にされていませんので、自分なりにまとめてみた結果です。梅田さんは「オープンソース」や「日間300PV程度の小規模ブログ」も私塾と言われていましたので、活動は勉強・学習に限定されることはないと判断しました。しかし、活動を通じて、よりよい自分や社会を作っていく精神は必要なのだろうと思います。厳しくも心地よい場所という印象です。

梅田さんのブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」は、10000〜15000人が見ており、梅田さんがエントリをアップするたびに、賛否両論のコメントやトラックバックが寄せられます。そのフィードバックを受け、新しいエントリがアップされ・・・、と維新について議論する幕末の志士が集う私塾のようになっています。

「梅田塾」の他にも「弾塾」や「amachang塾」など人気ブログでブロガー個人の人格に魅力を感じるところはいくつもあります。確かに「私塾」と言って良い雰囲気です。

「私塾」が俺自身の幸福感に繋がるのか、考えてみました。私塾が与えてくれる幸せとは、

  • 指向性を共にする仲間といられること自体
  • ロールモデルを得られること
  • 自分の活動を評価してもらえる「喝采体験」

人間は社会的な生き物なので、誰もが喜びそうなことばかりです。しかし、「じゃあ、みんな、私塾に入って幸せになろうよ!」とはいかないのです。幕末の志士は、指向性を共にする仲間を得るため、命をかけて脱藩をしました。インターネットのような便利なものはありませんから、仲間になりそうな人の存在を知るだけでも大変ですし、知った後も歩いて会いに行かなければなりません。恐ろしくコストの高い行為だったわけです。それを実行するだけの熱意と行動力が必要でした。

現在ではこれらのコストは大幅に下がっています。グーグルで検索すれば仲間になりそうな人は見つかりますし、連絡もインターネットで簡単にできます。しかし、それでもまだ難しい行為だと思います。何故かというと「そもそも自分の指向性はなんなのか」がわからないからです。本書の中で梅田さんは「十代から二十代の、十年から十五年」考えたと述べています。また「自分がどういう風に生きたらいいのかということは誰よりも考えたという自負があります」とも。

俺はそろそろ二十代が終わるのですが、梅田さんのように自負を持って言うことは出来ません。むしろ、流されて生きてきてしまったと思います。本書の第3章「「ノー」と言われたくない日本人」で語られている通り、否定や拒絶に臆病になってしまっているのです。頭では「否定されても失うものはない」や「肯定される方が珍しい」と分かっていても、なかなか動き出せないのです。齋藤さんや梅田さんは、「50人中1人が肯定してくれればいいよ」と。メンタルバイタリティが桁違いなのです。

これまでの人生のツケはすぐに解消できるものではありませんが、本書の中でいくつもヒントが与えられています。「期間を決めて一カ所で頑張る」「量をこなせ」「ブログで否定される免疫を養え」「自己内会話」「人との出会い」「職人気質」・・・。いずれも楽ではありませんし、ただ楽に生きていくなら不要なものです。しかし、俺自身の理想とする俺には必要です。頑張ります。

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